おそうじオバチャンからの怪しい相談
ある時、仲良しのお掃除おばちゃんが「私、あんたに相談したいことがあるねん。昼休みに病室行ってもいいか」と言うことで、早速缶コーヒーを持ってやってきました
「これ私の友達からの相談事なんやけど、友達の主人はあんたと同じ病気なんや。
それはええとして、病院のある看護師さんと、えらく仲が良くなってるらしくて、友達は浮気を疑っているんや。」
「友達とはもう2年位、あっちの関係はないそうなんやって。この病気でもあっちは問題ないんか?」
「この病院、同じ病気の人多いけど、こんなことあんた以外には相談でけへん。それにあんた看護師さんとものすごく仲いいから、相談するには一番いいと思って」
「そらな、病気してから、あっちの方は正直多少は弱くなっているで、毎日は無理だけど、週に1度ぐらいやったら俺は大丈夫や!」とここは多少見えを張って答えました(笑)
「あんたの自慢話は、どうでもいい!」(爆)
「だけど浮気はしてないやろ。もし浮気してるなら病院では知らんぷりしてて、外で会うはずや」
そう言うと安心して帰っていきました。私にもお掃除おばちゃんの役に立つようなことがあったんです。
健常者を手本・基準とすることは正しいのか?
リハビリ室の歩行訓練でセラピストから常に言われるのが、健常者の歩き方はこうで、それに比べてあなたのは云々と次々欠点を指摘される。
これはあらゆるケースで正しいのかと私は常々疑問に思ってきました。もう怒りに近い感情と言ってもいいかもしれません。
もちろん障害の程度が軽く健常者風の歩行が目指せる人はそれでいいのですが、慢性期が長く装具と杖でかろうじて歩いている障害の程度が重い人に対しても健常者の歩行を基準として欠点を指摘する。
ほんまにこれ正しいの!?、昔から人見て法をとけと言われますが、障害の程度によって目指すべき歩き方は当然違うはず、それを見抜き指導できてこそのセラピストだと思うのです。片麻痺障害者でも、膝や足首関節が自分で多少なりとも曲げられる人と、私のように全く曲げることの出来ない重度の障害者との歩き方は自ずと違ってきます。
指が5本の人と、3本の人とでは、例えば、料理で刺し身を切る場合、最適な包丁の種類も重さも違います。
文章を書く場合でも、両手でブラインドタッチを目指す人と、片手のステック入力を目指す人が、障害の程度により分かれて当然だと思うのです。両手のブラインドタッチを基準・お手本としてすべての障害者を指導するなど笑止千万です。でも歩行に関してはこれが当然のごとく行われるのです。自立を目指すといいながら生活に即した実践的な移動方法・歩行をほとんど指導していない。
歩行に関しては何でもかんでも健常者歩行が正しいとするのは大いにまちがいであると思います。時と場合によっては横歩きのほうが絶対安全だと言うことがあります。数年横歩きを続けてきた私にはわかります。2動作歩行と3動作歩行に関してもそうです。
リハビリ室では障害の程度に応じより生活場面に対応出来る歩行を指導すべきなのです。それが自立を支援するリハビリなのです。多くのセラピストにその能力や視点が決定的に不足しているように思います。
脳卒中後遺症治療に関し活発に批判できる土壌が必要
◆皆さん日頃から痛感されているように脳卒中の決定的な治療法は未だありません。
一方マスコミなどでは、新しい治療法が出てくると、すぐに飛びついて、これは奇跡の治療か!?と大騒ぎします。そしてしばらくして熱狂が冷める。その繰り返しです。
一方、患者側である脳卒中後遺障害者を考えてみますと、その脳の損傷の程度と部位は人それぞれ、障害も片麻痺や失語等本当に様々で、その程度も百人百様です。
我々脳卒中障害者は、基本的にこのような状況に置かれています。
ですから一つの治療法について、やや感情的とも思える色々な批判が出るのは当然なのです。
マスコミ等で、自信満々の医師の話が取り上げられて、期待値は上がり続けます。ですから、うまく行かなかった失望は大きい。
◆私の知人は、数年前、磁気治療( rTMS 反復経頭蓋磁気刺激療法)を初期の段階でを受けました。事前に東京で診察を受け、実際の治療は、九州まで出向いて1ヶ月入院して受けました。
治療側はエビデンス(治療効果があることを示す証拠、検証結果)のために、効果が挙げられそうな障害の軽い患者を事前に選別します。彼は東京での事前診断にパスし、実際の治療は、遠く九州の病院で受けました。
普段非常に冷静で、「新しい治療法に過度な期待はしな」と公言していた彼でしたが、このときばかりはえらく感情的になっていました「40万近くのお金を失った。全く役に立たない治療だ」と憤懣遣る方無い(ふんまんやるかたない)様子でした。
この様に、期待が大きいだけに失望も大きく、多少感情的になるのは致し方ないことだと思います。逆に、彼と違い磁気治療の効果があった人も当然いるでしょう。
◆最近、「他人が受けようとする治療法を批判するな」という意見があるようですが、我々患者全体で考えると、効果があったという意見と、効果がないという意見の双方の意見が出てくることが一番望ましいと思います。
脳卒中後遺症患者の判断を助けるために、治療法に関して活発な意見が出る土壌が大切だと思います。その際、多少感情的になる面もあるということです。
脳卒中ブログ村で、「治療批判は差別」などの意見がありましたが、全く的外れです。そんな意見で多様な批評を封じ込める事などあってはなりません。
それじゃ~また
移動支援事業を利用してプール歩行のヘルパーを依頼する
この制度は、 室外での移動等に支援が必要な障害者のためのもので、社会生活に必要不可欠な外出や余暇活動等の社会参加のための外出支援です。
移動支援事業は、市町村事業となりますので、市町村によって事業の内容が異なりますので注意が必要です。以下は、わたしの居住する市の移動支援事業の内容です。
まず、2つのタイプがあります。一つが個別支援型で、個別的な異動に関する支援で利用者1名に対してヘルパー1名を配する。
もう一つが グループ支援型で室外でのグループ活動や同一目的地・同一イベントへの同時参加の際など複数人の利用者に対する支援です。
利用料金個別支援が30分当たり100円で、市民税非課税世帯は無料です。
グループ支援は、一人につき30分当たり50円です。
私は ケアマネージャーに相談し、この制度を利用して プールでのリハビリ歩行を行う計画を立てました。
ただ、この制度は運用が市によって異なります。特にプール利用は関しては認めてくれない市町村もあるということでした。
それで、 申請時には、一般的な移動支援ということで申請し具体的な移動先等は書かないで下さいと、ケアマネよりアドバイスをいただきました。なお申請には障害者手帳の写しが必要でした。
申請して約2週間ですんなり許可がおりました。
移動支援事業に関しては、お住まいの市町村にお問い合わせ下さい。
障害者初の国家公務員試験(2)試験を受けた人の声
【神戸新聞2019年2月4日】障害者初の国家公務員試験
試験そのものは、一部不満が上がったものの、おおむね個人(障害)への配慮がなされていたようです。
ただ、勤務地や仕事内容への不安は依然あります。そこらあたり、採用された人の声・満足度を次回の試験実施までに是非くみ上げていただきたいものです。
介護施設は、多様なメニューの準備を
慢性期になった私は、PT(理学療法士)の下でリハビリしたいため介護保険を使って通所リハビリに通い始めました。
脳卒中で仕事をなくした私は、将来に備え、株式投資の勉強をし、収入不足を少しでも補おうとしていました。企業やその競合状況を調べて財務や戦略を分析し、市場を観察し、株の売買をする。壊れた脳で、そんな新しい経験に直面し、多少緊張する毎日でした。
そんな日常から、通所施設に来ると、当然のように職員の方に、童謡の合唱や脳トレ・ドリルといったものをやらされます。さすがに50代半ばの私が通所者の輪の中に入るとみんな驚きます。異分子が侵入した妙な雰囲気です(笑)
音楽に関しても、戦後世代の多くは、jazzやニューミュージック等の好きな分野があり、それなりに聞きこんできた時間を蓄積しています。そんなひとが、童謡など歌う気分になれるでしょうか。
私の義父は漢字を勉強するのが好きです。それでデイサービスに行った時に、漢字の勉強をしたいと職員の方に言ったところ、それは皆さんに嫌がられるから駄目ですと断られたそうです。
幼いころ家庭の事情で勉強をさせてもらえなかった義父は、勉強に飢えていて色んな漢字を覚えるのが好きなのです。
それを拒否するとは何事なのでしょう 。全員でできなくても義父一人に漢字ドリルをやらせておけばいいじゃないですか。
そもそも、そんな多様性は認められないのでしょうか。様々な個人的な経験を長年積み重ねた大人が、そろいも揃ってチーチーパッパと声揃えて歌わなければならないのでしょうか?
施設側が多様なメニュー用意して通所者に喜んで過ごしていただく。それがデイ・サービスの基本だと思うのです。たとえば以前取り上げたこんな施設です
多様なメニューを準備する中で、通所者自身が講師になれるケースが多く出てくると思います。そうなれば、別に「生きがい」も生まれると思います。誰でも1つや2つ他人より詳しい分野があります。介護施設において、それを生かす仕組みづくりに是非取り組んでいただきたいと思います。
障害者初の国家公務員試験
【神戸新聞2019年2月4日】障害者初の国家公務員試験
いよいよ始まりました障害者の国家公務員採用試験の全国9地域での一括実施です。
中央省庁の障害者雇用水増し問題が「災い転じて福となす」になってくれることを切に望みたいです。
暴走する自己肯定感
今回も「絶望老人」神郷由紀著からピックアップさせていただきます。
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◆「ここは天国じゃないかと思うの」、開口一番 大林のぶよさん(79歳)は車椅子に座ったまま夢見るような瞳でつぶやいた。
神奈川県の海沿いの「老健」と呼ばれる公的施設では、要介護状態の高齢者がスタッフによる食事入浴介助などの介護を受けつつ、医師による医療ケアや、理学療法士からリハビリの指導の下、治療や訓練を行って在宅復帰を目指す。
◆ ゴミ部屋での軟禁生活
36年前から同い年の夫と3 LDK のマンションに二人暮らし、 9年前にリウマチを患ってからは病院と美容室以外では外出もほとんどしないできた。夫の命令だ。
結婚直後から暴力を振るう DV 夫、 鼓膜が破れたり失明寸前まで舐められる暴力にあっても安定した経済力の前には無力で従属し続けた 別れて自立することなど考えも及ばなかった。
◆施設に入所して夫と別居し、 50年の拘束から解かれ徐々に本来の楽観的でおおらかな性格を取り戻していく。 同時に自我が目覚め始めた。
ここで大勢の職員さんと一緒にいたら、言いたいことが言える、怒鳴られても殴られそうになっても止めてもらえるから。
◆お姫様のような生活
何もせずとも朝昼晩と1食3回 栄養バランスのとれた旬の食材がたっぷり盛り込まれた料理が食べられる。洗濯もしなくていい。お金のやりくりも考えなくていい。
怒鳴られることもない 職員にかしずかれて傅かれ(かしずかれ)て、 施設の友達とおしゃべりをしていればいいのだ。 心配なのはただ一つ この施設を出なければならないことだけ。
◆自己肯定感を取り戻して、時に居丈高(いたけだか)にうつる言動も 施設内での所作を追って行くと納得がいった。 「私はねこの施設のアイドルなの。ちょっと遅いアイドルね。」
車椅子に座ったままで、フフンと得意げに、そして自信たっぷりに、顎をしゃくり上げて言い放つ表情やしぐさからは、いささか調子に乗っている、慢心しているといった表現がしっくりくるようにも思える。
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お~何ということでしょう。夫という重しが外れたら、逆に自分が女王様のようにふるまう。私の知人の片麻痺の女性にも一人いました。デイサービスに行くと、相対的に若いからあっという間に人気者になったらしくて「私、アイドルや」と言っていました。
苦労知らずで、天真爛漫な面があったのですが、尊大さが鼻につくようになり、これまで付き合っていた人が離れていくんですね。私も「メガネさん、○○してくれへんか、どうせ暇やろ」と言われてすっかり嫌になりました。
「障害者の自分は人に親切にされて当然」などと思っていると、反発を買い、取り返しのつかないことになります。気を付けましょう。
脳梗塞で失明、退職。どうやって生活を?
【2019年2月15日神戸新聞イイミミ】
調べてみると、「脳内の視神経やそのすぐ近くで、手足の麻痺などの症状が現れない程度のごく小さな脳梗塞で、視機能だけが障害される」ことがあるそうです。
しかし状況は、厳しいですねえ。何より退職を余儀なくされておられる。
生活は、短期的には失業給付を受けることになると思うのですが、それでも自己都合の退職なら3ヶ月間の給付制限期間があります。おそらく初診日から1年6ヶ月を経過していますので「障害年金」の申請ができますが、受給出来なかったのでしょうか!?
私も脳卒中で倒れたのが54歳の時、長男、次男は高校生でした。おまけに何の補償も受けられない自営業者。先行き考えると本当に焦りましたし、転落していく恐怖を強烈に感じました。ですから、この奥さんのお気持ちが痛いほど分かります。
【追伸】私も後日、新聞社のこのコーナーに連絡入れました。やはり障害年金は受給できなかったそうです。他にも、再度連絡が入った際の、いくつかの伝言を依頼しました。このブログご覧くださればありがたいですが・・・。
会話の途中で切れる高齢者
今回も「絶望老人」神郷由紀著からピックアップさせていただきます。
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◆ 会話の途中で切れる高齢者は多いなどと耳にしたりするが、これは彼らが日常生活の中で対人関係の耐性が低くなっていることも背景にあげられる。
◆ 多くの高齢者は老齢期に関わる相手を自分で取捨選択できる暮らしに変わる。
自分が好まない人や、耳に痛いことを言う相手を拒否あるいは遠ざて生きていける環境が整う。その上で高齢になるほど自ずと、 年上より年下の相手と接する機会が多くなり、店員や医療従事者など周囲からも大切に扱われる頻度が増していく。
◆ コミュニケーション能力は、筋力や記憶力と同様に常日頃から適度なエクササイズが必要で、長く使わずにいると他の身体能力と同じにどんどん衰えていく。
相手との距離感や会話の精度、勘所も狂いがちになり人によっては相手に失礼な内容なども見当つきかねる。口を利く相手がいても挨拶と天気の話題のような当たり障りのない簡単な会話に終始していると負荷のかかる会話への耐性が徐々に低くなっていく。 このため相手から少しでも気に障る発言をされようものなら一気に外へ出てしまう。
◆傍目からは他愛のない会話であっても、何らかの拍子に感情が爆発してしまいがちになる。
ためていた感情の水ふうせんが刺激によって揺らぎ、何気ない言葉が針りとなって突き刺さた途端、制御できず、一気に爆発してしまうのだ。 現役時代に大勢の部下を率いていた人でも決して例外ではない。
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私も、脳卒中後遺障害の「感情障害」わずかですが、残っています。注意します。
今、週一で通っているデイケアでの若いスタッフとのお喋りも、メリットはありそうです。