夏 みかんの木 今年は期待できそうです |
秋今年は庭のミカンが豊作です 枝が重そう |
庭の が、たいぶ黄色くなってきました。11月中旬 |
meganesaru707今朝は霧が濃い。
雲海の底、モノトーンの世界です。 https://t.co/2tDfUyVEIh10/26 14:44
meganesaru7072020年は10月1日が「中秋の名月」です。
満月の日の前日ですが、ほぼ真ん丸に見えます。 https://t.co/GcL6CjoHoO10/01 02:56
meganesaru707エンジェルトランペット。今年はきれいに咲きました https://t.co/0SW6ZcJLCs10/14 16:25
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リハビリ散歩で知り合ったおじいさんが持ってきてくれた。
今年は小粒かもと聞いていたが、なかなか立派である
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女房が、昨夜遅くまでかかって栗の皮剥いてくれました。
指が悪いので、頼んではいなかったのですが、ありがたいことです。 今年の栗は甘かった。久々にお代わりしていただきました。
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新米おにぎりです。コメは幼馴染が作りました。 このコメ、心からウマイと感じるのです。 日本一とは申しません。ただ生まれ育った土地産だから、私の体質に何より合っているのでしょう。 私には唯一無二の存在です。 |
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幼いころは近所のおじいちゃんが、マツタケ持ってきてくれて、毎年普通に食べていた。
さすがに今はそんなことはありません
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meganesaru707ちなみに、当方使えるのは片手のみ。窓は二重窓で、めんどくさく何年も開けていませんでした。
それがここ最近、体を起こし、時間がかかっても窓を開け朝の空気を取り入れています。 https://t.co/OgVud3DS5408/30 13:33
meganesaru707最近、朝、目が覚めると、真っ先にベッドの横の窓ガラスを開けて、新鮮な朝の空気を入れている?
そのまま仰向けで腹式呼吸する。毎朝30分程度だが、これが大変気持ち良く。朝起きるのが楽しみになってきた。
今日はイチジク樹から?甘い香りがしてきた08/30 12:36
meganesaru707メダカ、見えますか ? https://t.co/IOF0rsmXQC08/15 01:40
meganesaru707暑い!!あんまり暑いから、我が部屋から見える所に、次男がFRPのBOX(工場の部品入れ)で池を作ってくれた水草を入れ、メダカも放した。眺めていると気分が涼しい https://t.co/vSQ7MRckMg08/14 22:44
meganesaru707イチジクの隣はみかんの樹今年は期待出来そうです? https://t.co/tLvE78tYiZ08/10 23:55
meganesaru707私の部屋の外、イチジクの樹です。今年も実り始めました? https://t.co/htePb5UjHt08/09 13:10
梅雨入り。庭のいちじくの実がふくらんできた |
梅雨に濡れるアリウム |
庭のアマリリスです。昨年は一輪咲いただけでしたが、今年は数が増えました。 |
みかんの花も咲きました。 |
イチロー選手の引退会見の言葉です。
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【質問】キャリアの中で一番印象的だった場面はあるか
【イチロー選手】今日を除けば、MVPやオールスター出場、10年200安打は小さなことに過ぎない。
今日の舞台に立てたことは。
去年の5月以降のゲームに出られない状況にあって、チームと一緒に練習を続けてきた。
それを最後まで成し遂げられなければ、今日という日はなかった。
残してきた記録はいずれ誰かが抜いていく。
去年の5月から今日までの日々はひょっとしたら誰にもできないかもしれない。
それがどの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかと思っている。
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脳卒中後遺症で重度の人は、慢性期以降いくらリハビリを続けても、良くなることはない。と言われます。
これは自分自身に当てはめても、ある意味当たっているようにも思います(特に上肢に関しては)。 ですから私は、三好春樹先生の言うところの「95%の諦めと5%の希望」の心持で、なお5%を信じて約9年リハビリを続けてきました。
でもこのイチロー選手の記者会見を聞いていて、リハビリが効果があるかないか、もう二の次のような気がしてきました。
5%の可能性を信じてリハビリを続ける。それがささやかだが、強い誇りをもたらす。もうそれで十分な気がします。
人生と同じで努力したからといって、必ず報われるとは限らない。ですが努力することが自分の誇りを育てていく。それが自分らしい人生を生きたことなんだと思います。
リハビリ効果が、思うように出ない同病の皆さん。結果がでなくても、あきらめたりせずリハビリを続けましょう。それが、自分らしい人生を生きることになり、自己表現でもあるのです。そんな姿勢にこそ他人は励まされるのです。
それが、イチロー選手のように、最終戦で大きなギフトを手に入れることになるかもしれません。
今回も「絶望老人」神郷由紀著からピックアップさせていただきます。
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◆確かにお金があれば幸せになれる選択肢と可能性は増すだろう。
だが裕福でさえあれば誰もが必ず幸せになれるとは限らない。 逆にお金がなければ全員が不幸になるとも決めつけられない。
◆ 万人にとって人生の長さが幸せの量と必ずしも一致しないように、経済的豊かさもまた幸せの量や質とかぐし必ずしも正比例に関係にはないからだ。
◆幸せを希求して上を見ればきりがなく、我欲には 際限がない。 必要なのは足るを知る感覚を踏まえて、生きる知恵と生活力を備えること。
◆たくさんのお金がなければ生きられない。幸せを感じられない生活と価値観に固執せず限られた収入の中で生きられる知恵や工夫、方法を身につけ 、その中で自身が楽しめる人生の目的と手段を得ることだ。
◆言い換えれば長い人生経験の中で、どのような状況でも自分を「活かして」生かす力を養って来なかった人、 生きるセンスを培えず(つちかえず)にいた人ほど、長く生き延びた老いの日々を、苦心して送ることになる。
◆これまでの実りを得られる人もいれば、しっぺ返しを食らう高齢者もいる。 貧富の差に関わらず単に歳を重ねただけで誰もが「人生の達人」になれるわけではない。
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当たり前ですよね。楽に生きてきたら、年齢重ねるだけでは、何の蓄積ももたらさない。むしろ悪い贅肉が付くだけ。人生70年の時代はそれでもよかったかもしれませんが、定年後20年以上生きなければならない人生90年の時代では、どこかでつけ払わされます。逆に苦労したことが、大きな喜びをもたらすこともあります。
第二の人生も意識して第一の人生を送ることが大切なようです。威張らない、やりこめない(議論で勝たない)、汗をかく、鈍(どん)な人の方が第二の人生では上手くいきそうです。
女性看護師さんによって気が合いそうなタイプ、どちらとも言えないタイプ、どうも苦手と感じるタイプがあります。わたしは、柔らかくおもしろいタイプは気が合いますが、勝ち気なタイプはどうも苦手です。
勝ち気、強気なタイプには闘争心さえ感じるのです。接しているとどうしても態度や言葉に”ぞんざいさ”を感じるのです。私の経験ではわりと美人が多く上から目線で人を見る。負けず嫌いな私は、ムラムラ反発心がわいてくるのです。
ある意味自分と似た面も無くはない人なのですが・・・。とにかく私の場合「ムラムラ反発心」が問題なのです。これをコントロールする必要があるのです。
世の中自分の気の合う人とだけ付き合って楽しくやっておれれば、それは幸せなのですが、これから先に病院や施設等で暮らす可能性は誰しもありますので、気の合わない人、苦手だと感じる人とも付き合っていく必要があります。それができてこそ人間的な成長もあります。
所が、これまでの私は、好き嫌いが激しく、苦手だと感じれば、それ以降は、その人との会話は避ける傾向にありました。
ですが、今回の入院では「苦手だと」とすぐに判断してしまわないで、何とかそんな看護師さんともうまく付き合えるようになろうと思いました。そこで次のようなことを意識しました。
とにかくこの人は、私にはカチンとくる人なのだと意識して、多少のことはやり過ごす。時間を置き、その感情を希薄化するようにします。
そして、そんなことで会話を続けていると、中には共感できる事や話もたまに出てきました。そうなると、会話が成り立ち、案外良い人だったと見直すことがあったのです。「苦手な人」と早々結論付け、正面衝突でもしてしまうと機会を逃します。
会話の中で、その人の面白い面を発見したり、ズバリ問題を指摘されることが、心地よかったりするのです。私は、実に勝手な男です(笑)
今回の入院で苦手な人とも付き合える経験を積むことが出来たのは収穫でした。
1.生活感覚の戸惑い
これは、入院生活と退院後の家庭生活との生活感覚のギャップに対する戸惑いです。病院での主体性のない生活にならされてしまった患者が、自宅に戻ると何をしていいのか困惑してしまうということです。
2.孤立感と孤独感
障害を負うことで仕事や地位、経済的基盤を失って大きな喪失感を味わう。
仕事や趣味の仲間が潮が引くようになくなる。こんな寂しい事はありません、寂しさは生きる力を失わせてしまいます。
3.獲得された無力感
障害を抱え以前のように動けない。何をやってもダメだと言うダメだダメだと思いが何度も重なっていくと無力感が生み出されます。
4.役割の変化と混乱
一家を養うと言う父親としての役割を喪失したり、主婦としての役割を喪失する事による混乱です。
5.目標の変更ないし喪失
病気により人生の目標を喪失したり、変更せざるを得なくなる。家族も進学を断念したりして目標変更せざるを得なくなる。そうしたなかで希望を失い、リハビリを続けるモチベーションが低下する。
6.可能性がわからない
一般的にリハビリ病院に入院した患者や家族はリハビリすれば元のようになると思ってしまいます。しかし現実的には全く違います。それで逆に可能性が分からなくなってしまうということです 。どこまで回復するのか、何ができるのかがわからないということです。
7.障害の悪化や再発の不安
障害を負ってる人は常に再発の不安・怯えを抱えて暮らしています。特に頑張って行動した後に体調の変化があると積極的な行動がとれなくなってしまうのです。他にも頭痛等の体調変化に再発の怯えを感じながら暮らしています。
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私はリハビリで度々入院するようになって、高齢の男たちの日常生活における無能さにびっくりしました。
入院中の日常生活の何でもかんでも看護師か、見舞いに来る女房に頼りきりになる。歯磨きは自分でしても、自分の湯呑や箸など一切洗おうとしない。同室の者に挨拶する等のコミュニケーションさえ取れない。ただ、ボーとテレビを見ているだけ。世話してくれる看護師等とも世間話もしない。
次に女房が、何時見舞いにきてくれるのか、それが何時も気にかかる。
女房が病院に来れば来たで、今度は帰るのをひどく嫌がる。
こんなつまらん男には、愛想も尽きるやろと、僭越ながら思うのですが、古女房の方は、これが甲斐甲斐しいのです。
九十歳のおじいちゃんを同年代のおばあちゃんが毎日見舞いに来て、甲斐甲斐しく世話をする。おばあちゃんの耳が遠く、お爺ちゃんは、すぐいらいらしてケンカしているように大声になるのですが、それでも、しばらくすると笑い合っている。
もう少し年齢は下がりますが、同室のもう2組は70代のご夫婦です。こちらも似たり寄ったり、入院生活で何にもしない夫と、甲斐甲斐しく世話をやく妻の組み合わせ。
こんな夫婦を毎日見ていると、私はだんだん感心することが多くなってきました。男は高齢になって子供のようになっているが、女性は、変わりなく母性本能を発揮する。
そこに長年連れ添ってきた夫婦の独特の味というか魅力が生まれている。
私も徐々に、女性の母性本能の素晴らしさを感じ、最後は、感動すら覚えるようになりました。
まともに話もできない夫に変わり、私の顔を見かけると、きちんと挨拶してくれ、世間話もするようになりましたが、夫に対する優しい気持ちが伝わってくる。
今の世の中、不倫不倫と花盛りで、恋愛至上主義のような感じですけど、長年連れ添ってきた夫婦の年月には何とも言えない落ち着いた味がある。人生、惚れた腫れたより大切なものがある。そんな気がしてくるのです。
絶望老人(3)労働環境の変化に合わせる勇気と努力
今回も「絶望老人」神郷由紀著からピックアップさせていただきます。
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◆ 少し前には花形ともてはやされた職業が、次々と消えていくのも必須なら、身につけた知識や技術が現代では通用しなかったり、需要が見込めず、生かす場を失って嘆く人の声も絶えない。
◆ かつて働き盛りだった時分に営業成績はピカイチだったと豪語する高齢男性に限って、その手腕の三種の神器が「酒、麻雀、ゴルフ」で、最後は「土げさで泣き落とし」と言い切る人も多いのだ。
コミュニケーションの形態が変化して効率やデータが最優先される現代では往年の手法が 通用に乏しいばかりか伝授さえ乞われない。
◆高齢者にとって現実は厳しい。 時代のスピードは加速するばかりで、後人に教えを説くより逆、に日進月歩で次々と投入される新しい機器の使い方やシステムの説明を若者層に乞う現場こそ増える一方なのだ。 新しい職を得て今まとは違う環境と、人間関係の中で様々なことを一から覚えてこなし、周囲と打ち解けて実戦力となる人材でいるためには、それまで築いたキャリアや自尊心を時に封じ、価値観すら変換する柔軟性が求められる 。
◆時代が求めているのは人間力
結局意識の高い人はどこへ行っても通用する。高齢者であればこそ「人間力」が問われる。
都内のスーパー店主が話す「若い学生アルバイトがやり込められるような迷惑客にも平然と接して上手に捌いてくれる。その後にいろんな人がいるから大丈夫よとさりげなく励ましたり、場に応じた気遣いができるのは年齢を重ねた人ならでは。
努力の末パート暦2年でレジの達人になった70歳女性もいます。 つまるところ体の故障さえなければ実年齢より人柄なんですよね。 豊富な人生訓をもつ高齢者ならではの対応力や懐の深さがいい形で現場で生かされ窮地を救う局面もあるのです。
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本当にそうです。仕事のみならず、引退以降の病院や介護などの施設でも結局問われるのは人間力です。
これまでの仕事でのキャリアを忘れ、誇りや愛着は胸の奥にしまい込み、価値観すら変える柔軟性が求められます 。会社などで偉かったことなど邪魔になるだけです。むしろ遊び人で社会的地位が低かった人の方が、他の人に好かれる可能性があります。勇気をもって価値観を変え、他の人を認める柔軟性が求められるのです。
退職後、道路のゴミ拾いなどの清掃を自主的に始める人がいます。「できるなあ~、達人や!」と私は、いたく感心しています。掃除は余計なものを洗い流すことを知っておられるのです。
【神戸新聞2019年1月6日】
こんな記事が飛び込んできました。久々明るい気分になりました。
障害者は、その能力に応じ様々な仕事ができると思うのです。表面に現れる身体的な障害だけで、全ての面で劣っていると考えないでください。
このイオンさんのように、様々な仕事の機会を与えていただきたいのです。きっと思った以上にできることがあるはずです。このような店頭業務、接客業務もこなせる人は多くあると思います。
私の近所にイオングループの ディスカウントストア「ザ・ビッグ」があり、よく行くのですが、知的障害と思しき中年の方がカートや食品トレーの整理をやっておられます。きちんと挨拶されますし、なにより長く続いているのが素晴らしいといつも感心しています。
また、障害者の方のお書きになっているブログなどを読んでいますと、しっかりとした内容も多く、 この点を考えてもPC 作業や管理業務、企画など知的な仕事を十分こなせる人が多くいると思います。
イオンさんに続く企業がどんどん現れてほしいものです。
佐藤隆信さん
大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」は“保護より機会を”を掲げ、障がい者の働く場づくりに寄与してきた。その一つ、1983年設立の「三菱商事太陽」は同法人と三菱商事の共同出資で、社員112人のうち70人が障がい者。大分県出身の佐藤隆信さんは1989(平成元)年に入社した。
「地元の高校出て、自衛隊に入りました。航空機体整備員を希望したのに、適職診断の結果は通信員。基地間の交信業務の道に入りました。最初は戸惑いもあったんですけど、そこでコンピューターと出合うわけなんです。ちょうど、配属が(東京の)市ケ谷基地だったんで、周りに夜学とかがいっぱいあって。夜勤のとき以外は勉強してましたね」
1986年5月23日、転落事故で下半身の自由を失った。
「あまり思い出したくないところなんです。休日に友人宅を訪問して、手伝いでベランダかなんかにあるやつを取ろうと身を乗り出した瞬間に落ちたような覚えがあるんです。そこで脊髄損傷。医者には『一生歩けない』と言われて。『なぜ? 治るでしょう』と。23歳のときです。(障害者)手帳を取った時点で自衛隊は除隊になりました。まあ、クビなんだろうな、と。ある日、夢で車いすに乗ってたんです。そのときに自分の深層心理が見えた気がして。体では受け入れても、心まで障がい者になっちゃったのかな、と。でも、そこからです。とりあえず生きてはいるし、落ち込んでる場合ではないと」
佐藤さんの指に結婚指輪が光る。現在はクラウドサービス部部長兼アウトソーシング部アウトソースチームリーダー。障がい者4人、健常者2人を率いる
「ここの正社員になったのは元年の7月です。通信員時代のコンピューターの知識が幸いして、システム開発、保守の業務畑を歩いてきました。けがをしてからも個人的に知識を高め、チームのリーダーを任されるようになっていきました。僕自身、新しもの好き。新しいツールはどんどん使ってみようと。楽しく仕事してきましたよ。障がい者社員の中では、役職的には一番上なので、見本を見せていきたいと思っています」
1997年に職場結婚。当初、先方の両親には反対されたという。
「当時は障がい者に対する社会的な認知度も低くて、はじめは(先方の両親に)反対されまして。悶々としながら日が経つなかで、半ば飛び出すような感じで僕のところに彼女が来て、それから『どうかひとつ……』と。一生懸命説得しましたよね。長男ができてからは、先方の両親にも頼らせていただきました。今、15歳。もうすぐ高校受験です」
「僕にとっての平成は激動です。けがから社会復帰できて、上を目指して30年間ひたすら突っ走ってきた。ちょうど今朝、朝礼で話したんですよ。『障がい年齢33歳や。まだまだ、これから』と。中途障がいの人って、誕生日が二つあると言ったりするんです。普通に生まれた日と、障がいを持った日。けがした当時、『60まで生きれるかな』って言われたんです。30年前は、器具の性能とか医療もまだ進化してなかったので。だんだん(60歳が)近づいてきて、おいおい、近いぞ、みたいな感じではあるんですけど、もうちょっと生かしていただいて、知識と経験を生かして、役割を見つけていきたいです」
(文・撮影:吉田直人)