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吠え 第三駐車場 最終章 そして悲劇は起こった 

 

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私は半金屋のことは、やはり社長に話しておいた方がいいだろうと思いました。
実直なこの社長が、半金屋のことでこれから信用を無くすことを危惧したのです。
実は女房と社長の奥さんは年に数度お茶をする仲良しグループの一員です。そのお茶会が数日後開かれることになっていました。
「私が冗談めかして奥さんの耳に入れとくは」と女房が言っていた矢先に、その悲劇が起こったのです。
現場から現場へと掛け持ちして多忙な社長が何と正面衝突事故、ドクターフェリで大病院に運び込まれたのです。
首の骨が折れており全治6カ月の大けが。幸い神経に損傷はなく車いす生活にはならないで済みそうですが・・・。
家の工事が予定通り20日で済んでいれば、社長は焦ることはなっかったのです。
(吠え吠え)こら!半金屋!お前がきっちり仕事しておればこんなことにならへんだかもしれんのや。社長は少なくとも衝突事故の現場にはおらんかったはずや。
お前茶髪で若こう見えるけど、もう40代で、二十歳の子もいるそうやないか、ええ加減にせんかい。工務店の仕事失くしたらお前も困るやろ、このボケが!ごまかしは、いつまでも通用せんど!!
私は社長が心配で正直今も混乱しています。第三駐車場の話は、最初笑い話をするつもりで始めたのですが・・・。こんな結末になるとは、。いやはや、やはり現実は厳しい。
おわり

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(4)介護(リハビリ)を仕事にしてしまう男たち

 

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今回も教科書(「男と女の老い方講座」三好春樹著)からです。「片麻痺障害者となった女房を介護」している方はもちろん、そうでない方は「介護」を「リハビリ」と読み替えて、読んでください。
  
それにしても「男の特性」が良くとらえられており、思わず笑ってしまいました。
 
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男の介護は生きがいになってしまう。これが問題だ。
定年になって、それまで生きがいだった仕事がなくなった男性にとってはこれは新たな生きがいになる。
 
介護を生きがいにするのは悪いことではない。しかし日本の男性が仕事一筋に打ち込んで ワーカホリック( 仕事中毒)と呼ばれているのと同じやり方で介護をし始めるから問題なのである。
介護目標を設定しそれに向かってがむしゃらに頑張るのだ。
 
ちょうど売上目標の達成に向けて残業もいとわず働くサラリーマンのように。
 その目標には歩行を可能にすると言った機能動作の自立が選ばれることが多く。
その大半がまずは無理な目標であることが多い。
 
目標が達成できそうにないとなると、自分はこんなに頑張っているのに成果が出ないのは本人が悪いからだ
 と妻に無理やり筋力増強や関節を広げる訓練を強要したりすることにまでなってしまう。
  
記録も実に丁寧につけてある。
 元銀行員の夫の介護記録は分厚い大学ノート一冊が1年間でもう7冊目であった。
聞いてみると血圧、脈拍から水分の摂取量、尿量まできっちりと記録してある。
 
オタクと呼ばれるのは男性が多いように、この世界でも介護オタクが男の介護の特徴である。
生きがいにしてしまうにせよ。オタクになるにせよ。
 
介護している自分を確認することが一番の目的
 
になってしまって肝心の介護される側の気持ちを考えなくなるというものが困ったことである。
真面目な人ほどそうなると困りものである。
そうした男達の介護と比べると女の介護は総じていい加減である
目標なんて立てないし、記録もとったりしない。
どうやら女は、男の側から見ると無意味に見える同じことの繰り返しに耐える能力が高いらしい。
家事をやってきたせいだろうか
 
男はそれに耐えられなくて目標を立てて、介護を仕事のようにして乗り切ろうとするのだろう。
それにしても女の人はお互いに愚痴をこぼしやってケアするが、 男は愚痴を言わない。弱みをそう簡単には見せないのだろう。年をとれば総身弱みだらけになるのだけれど。
 
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介護とか、リハビリは、女性の方がその特性から合っているような気がします。
 
特に慢性期は。これから老いて体がますます弱っていく中でも、いやになって投げ出さず。粘り強くリハビリを続けていくのは女性かも知れません。
 
年を取れば目指すべきは、おしゃべりで、こだわらない「おばちゃん」なのでしょう。
 
それじゃ~また。 

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セルフのガソリンスタンドの親切 

 


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私は関西の田舎町で暮らしています。しかも片麻痺で歩行に装具と杖が必要です。ですから移動に車は欠かせません。当然車には、月何回か、ガソリン給油が必要になります。


最近はセルフのガソリンスタンドが多くなりました。私は片手でお釣りを受け取るのが苦手なこともあり、いつも現金で3000円分きっちり入れることにしています。


病気前から2000ccのミニバンに乗っているのですが、これ車高が高く左片麻痺の私は、運転席の乗り降りに苦労するのです。さらに1000円札を3枚挿入しなければなりませんので、片手しか使えない私は、給油の作業に多少時間がかかるのです。ですからいつもは、空いている平日に給油を済ませるようにしています。


その日は、日曜日でしたが、たまたま通りっかかった際、あまり混んでいなかったのと、残量が減っていたので、給油することにしました。一台待ちで並びました。直後にもう一台が私の車の後ろにすぐに並びました。バックミラーで確認するとミニバンにご夫婦と お子さん2人乗っておられます。

 

私の順番がきて、すぐに(実際はもたもた)車から降りて行くと、後ろの車から40代と思しきご主人が降りてこられます。「手伝いましょうか」と私に気軽に声をかけてくれました。

.

私は「自分でできますので」と一旦答えかけたのですが、その親切が嬉しかったので「じゃすみませんが、給油キャップだけ開けてもらえますか」とお願いしました。


私がガソリンを入れていると、後ろの車では家族で笑顔で話されています。ようやく私が給油を終えて、後ろの車に頭を下げると、動作の遅い私に対して、みなさんんイライラした様子は微塵もなく、笑顔で挨拶をかえしてくれました。


田舎でも、障害者用の駐車場は健常者に占拠されてしまうことも多いのですが、一方で、こんな親切な方もおられます。本当にありがたいことです。実際はこんな方のほうが多い気がします。

 

と言いますのは、セルフのガソリンスタンドで、声をかけていただくことが度々あるのです。でもこれまでは「ありがとうございます。大丈夫です」とお断り(笑顔で)することが多かったのですが、今回はありがたくお手伝いいただきました。

 

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【参考記事】 運転席に乗り込めない!! [丹下右膳の運転記]

 

それじゃ~また


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吠え 第三駐車場 その5 半金屋の仕事は始まった

 

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工事は8割方完成し、室外工事は半金屋の工事を残すのみ。
それが終われば、いよいよ天井張り替え等室内工事に移るのですが・・・いつになることやら。


他の工事業者が全て引き揚げた後、いよいよ半金屋が一人だけでやってきました。嫌な予感がします。

「おはようございます」朝、半金屋がノー天気にやってきます。
そして屋根に上ってラジオを聴きながら半日仕事、午後はやはり姿が消えています。

それからも半日勤務は続きますが、さらに少し雨が降っただけで一日休み。ただし第三駐車場には現れていません。察したか?

ある日、工事の遅れに業を煮やした私はわざと半金屋に見えるように家の周りをゆっくり歩きました。

午後第三駐車場に行くと半金屋がいました。が、私がリハビリを始めるやいなや、突然、すごい勢いで半金屋の軽トラが第三駐車場から飛び出して出ていきました。

第三駐車場には、半金屋はその後現れませんでしたが、相変わらず仕事は半勤屋でした(河岸を変えたか?)。


結局、工事は40日もかかってしまいました。工期が延び他の現場との兼ね合いで、実直な社長はかなり焦っているようでした。

私は半金屋のことは、時機を見てやはり話しておいた方がいいだろうと思いました。

そして悲劇は起きたのです。

続く

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高速道の運転も運転感覚が戻ってきました [障害者の車運転]

 

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高速道で岡山~倉敷 =>(四国)坂出~丸亀~観音寺へ2泊3日の小旅行です。

 

一番上の写真の正面に見える建物が7年前に脳卒中で倒れ運び込まれた岡山医療センターの建物です。


高速道の運転時間は約3時間です。途中1回の休憩を取りました。10数個のトンネルが連続し事故も多い山陽自動車道、おまけに工事のため3か所の長い片側走行でした。幸い大して混んでなかったこともあり、ストレスも感じずに運転できました。7年以上の長い時間がかかりましたが、高速道の運転に関してもほぼ病気前の状態に戻ったようです。


後は大都市部の運転ですが、関西では神戸や京都など大阪市内以外は、ほぼ走りました。大阪市内は今のとこ行く予定はありませんが、徐々に適応していけると思います。


それじゃ~また

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吠え吠え記 第三駐車場その4 半金屋現る! 

 

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その悲劇は、この地方を襲った大雨から始まりました。

横殴りの大雨に古い我が家は耐え切れず。大量に雨漏し始めたのでした。
妻はもう大慌てで、プラスチックの衣装ケースを2つ並べました。
ちなみに知人宅は紙おむつを漏れてくる所に張り付けたそうです(笑)。

もう早急に修理するしかありません。
すぐ知り合いの工務店に来ていただき修理方法を検討しました。コンクリート工事、防水塗装など様々な業者が現場(我が家)に下見に訪れました。そしてその中に何と半金屋もいたのです。

次の雨までに、完成を急ぐ必要があります。あんな業者外してくれともいえず工事が始まりました。期間は20日間です。フェンスの撤去、コンクリ―打ち、塗装前下処理、塗装と工事は順調に進みました。業者の方は災害で工事が重なり、しかも次の雨までにそれぞれに早急に仕上げていかなければなりません。どの業者の方も懸命でした。
おかげで全体の8割程度が順調に進捗したある日、工務店の社長が申し訳なさそうな顔でやってきました。

「すいません。半金屋さんに材料が入ってこないそうで、明日から2日ほど工事が出来ないのです。」

「やっぱり!」
私達が恐れていた通りです。

 続く

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(3) 自立した人ほど要注意!

 

老いに適応するための講座の第3回です。今回、三好先生の主に団塊世代の人向けメッセージですが、三好先生ご自身の、苦い「離婚体験」にも触れられています。

 
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「個人主義」は、危険! 
「進歩主義」とともに私たちの価値観となっていたのは「個人主義」であった。自立した個人になることが人間の目標であるとされた。

こうした「個人主義」と「男女同権」という理念を空気のように吸い込み育ったため私は結婚とは自立した男と自立した女が共同生活するものでなくてはならないと思っていた。


しかしそうやってなされた結婚は破綻し離婚へと至った。「理念で結婚、本音で離婚」というのは団塊の世代を取材した記事に付けられたタイトルだが、私にぴったりの言葉である。人が依存しあうのは当たり前のことなのである。


自立を目指して生きてきたことが、実は排他主義と孤立をもたらす。
脳卒中による手足の麻痺といった障害を負った時に家から出なくなりに自我を崩壊させていくのは男の方が断然多い。
その理由は、男が自立した個人であったからである。
自立していない自分を人目にさらすのは嫌なのだ。人から介助されるのに耐えられないのである。

さらに自立していたからこそ人間関係が希薄で、人間にとって必要不可欠な人に依存するということがうまくできていないのである。

自我の崩壊を食い止めるためには関係作りのリハビリが必要だ!
自分は自立していると考えているあなた、自立すべきだと考えているあなた、障害を持ったり老いたりしたときそれは最大の障害になることを知っておいた方がいい 。

定年になった途端に呆けてしまったという話はよく聞く。脳卒中で片麻痺になった人に呆けが多いのを医療の世界は「脳血管型痴呆」と名付けて器質性のものであるかのように言うが、実は片麻痺という障害によって生活空間が狭まり、人間関係がなくなってしまうことを原因とすることの方がはるかに多いのである。

こうした自我の崩壊をもたらす原因を私たちは「関係障害」と名づけてきた。目に見えない関係が原因だから自我の崩壊を食い止め再建するためには関係作りのリハビリが必要だということになる。目に見える個体へのリハビリとは違うのだ。

生活空間は移動能力で決まるのではない。会いたいと思う人がいなければたとえ1人で移動できても家から出ることはない。まして誰にも会いたくない気持ちになっていれば、なおさらだ。しかし会いに行きたい人がいれば車椅子を使ってでも出かけるだろう。街がバリアフリーになっていなくても介助してしてくれる人がいれば可能だ。

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我々片麻痺障害者は、リハビリといえば、機能回復のみに目が行きがちですが、生活が変われば、人間関係もリハビリ・再建しなければならないということなのです。

 
このことに視線が向かない人が圧倒的に多い。もちろん職場復帰を果たし病前の人間関係が維持できる人はいいのですが、私のように仕事(その人間関係)を失ってしまうと、人間関係の再構築が必要になってくる。

 
私は今、友人たちが定年退職の時期を迎えておりこの点はラッキーです。幼馴染たちも定年を機に故郷に戻ってきています。そうなると私は「第二の人生」の先輩です。嬉しいことに、子供の時と同じように、ガキ大将気分を味わっています。

 
ただ、それだけでなく、新たな人間関係を広げることも必要です。些細なことですが、リハビリする公園では、できるだけこちらから挨拶をすることにしています。数人ですが親しく話をできる人もできました。

 
       そんじゃ~また 

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駐車禁止除外指定の申請 [障害者の車運転]

身体障害者手帳などを持っている人で、一定の条件に当てはまれば交付して貰うことが出来るのが駐禁除外標章です。 路上駐車をしても「 駐車禁止除外指定車標章」を表示していると駐車禁止除外となるものです。




私も同病(病歴7年)でリハビリ入院されてきた京都の方に聞いて初めて知りました。

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退院後運転再開して直ぐに取得しました。書類をそろえるだけで、窓口ですんなり取得できました。ただ申請から許可が下りるまで多少時間がかかります(2~3週間だったと思います)。

 

都道府県ごとに多少違いがあるかもしれません。詳しくは管轄の警察の交通課にお問い合わせください。

 

ただ、これ不正・悪用が多いと最近問題になっています(特に大阪)。障害者を乗せていない家族による単独使用などは、ダメです。

 

私が良く行くスーパーマーケットは、車イス専用駐車場が5台分あるのですが、いつも1~2台分くらいしか空いていない。

車の前後のガラス等に 「 駐車禁止除外指定車標章」や「車イスマーク」が張り付けてあるのですが、よく観察すると乗り降りしてるのはどう見ても健常者ばかり、ホンマ「少しでも得したい」浅ましい人増えてきた。しかし幸せそうな顔の人は一人もいないなあ~。 

 


■なお詳しくは「雑学は三文の徳」さんのブログに載っています。



 

それじゃ~また。 



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吠え第三駐車場 その3

 

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第三駐車場の中核をなす3組ペアの中に、私にはどうしても気になる1台がありました。 
それは軽トラックなのですが、ドアに屋号が描かれてるのです。
営業車なら屋号は当然なのですが、問題はこの車、平日午後の私のリハビリ時間に頻繁にバッテングすることです。
屋号は、水道屋さんや電気屋さんと同じように建築工事業の中のいわゆる専門工事業者です。
私がリハビリを始める時間にはすでに停まっており、約1時間半のリハビリが終わってもまだ停まっている。
私は半日しか仕事してないであろうこの人を「半金(勤)屋」さんと名づけました。(写真は合成です)
他にも電気工事業者らしき車が一台ありますが、屋号が書いてある車はさすがにこの車だけです。
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そしてある日、何と、この半金屋さんの軽トラックが我が家に突然現れたのでした。

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(2)「進歩し発達する」という呪縛から逃れる


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 男(片麻痺障害者)のための老い方講座のその2は、「 進歩・発達の思想・主義の呪縛(じゅばく)から逃れる」です。
 
教科書「男と女の老い方講座(三好春樹著)」から、いつものように抜粋いたします。 
 
【進歩主義で、老いは捉えられない】 
時間の流れがより良いものに向かって発展、進歩している直線的なものだという感覚は私たちには馴染みのものである。
 
確かに歴史は原始、未開から古代、中世を経て近代に至る進歩の歴史であるように見える。これが歴史の目的でありその歴史の中で個人の最も大切な役割はその歴史の進歩に貢献することである。というのが左翼的インテリの常識となっていた。
 
ところが老いは進歩とは逆の方向性なのである。進歩が上向きなら、老いは下向きだ。進歩が良いことなら、老いは悪いことになる。ところが今でも進歩主義の側から、老いの意味が提出されることなんか、ないのである。
 
それどころか 老いという現実を自分たちの狭い理念の中に取り込む輩からまで出てくるのだ。人間は老いて死ぬまで発達するなんて言う輩である。
 
進歩し発達することが善だから、老いの意味を見つけようとすれば、無理やり老化を発達と言いくるめではならないのである。じゃ年を取って動けなくなり呆けていくのは一体なんだんだと言いたくなるでまいか。
 
【人間は発達と老化でワンセット】  
人類とか社会とかいうレベルで見れば進歩発達という右肩上りの時間の流れが存在するように思える。しかしそれは幻想である。人類や社会という抽象的なものはどこにも存在していなくて、存在するのは一人ひとりの人間でしかない。
 
その人間にとっての時間の流れは進歩・発達し成人となって停滞し、老化過程を経て死に至るというものである。つまり発達と老化という二つで一つのセットこそ人間にとって普遍的な時間の流れなのだ。
 
人間は一人で生まれ発達し老いて一人で死んでいく。歴史がどのように語られようと人はその時間を生きるよりほかない 。
 
 
社会に貢献してこなかった高齢者も受け入れる】 
敬老の日の行事の偉い人の挨拶の内容はほぼ決まっている。高齢者を大切にしなければならないなぜなら高齢者は長年社会のために貢献してこられたのだから、というものである。
 
私はちょっと待ってよと思う。確かに社会に貢献してきた人もいるだろう。しかし私の隣で長い挨拶の終わるのを待ちきれないで袋の中のお菓子に手を出しているNのじいさんはどうだ。夫らしいことっも父親らしいことも何一つしないでバクチにはまり、年をとって脳卒中で倒れたら当然ながら妻と娘に引導渡されて特養ホームに入所してきたのだ。
 
車椅子のOさんも何人かの職員しか知らない前科があって、ぶ厚い塀の中にいたおかげで原爆で死なずにすんだという人である。
あのNさんもOさんも長年社会のために貢献してきたとは思えないが、そういう人は大事にしなくていいということになるのではないか。
 
私たちに求められているのはどんな生き方をした人であれ老いて死んでいくということを丸ごと肯定できるような思想なのである。

男と女の老いかた講座―老いに上手につき合える人、つき合えない人

男と女の老いかた講座―老いに上手につき合える人、つき合えない人

  • 作者: 三好 春樹
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 単行本

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かくて特養ホームに勤め、老人の現実に接することで、三好青年は、留置所に入れられるまで信奉していた左翼的な思想から解き放たれたという。いささか肩に力の入った文章です。
しかし、男は、老人になっても、長年しみついた「進歩・発達」を信奉しがちです。それは前回の「金、地位、名誉」と同様です。単純に図式化すれば、「進歩・発達」を信奉していたからこそ「金、地位、名誉」を手にしたといえなくもないのですが。成功した人ほど、「進歩も発達も」できなくなった反動も大きいのではと思います。
 
通所リハビリ施設の不機嫌そうな男性のご老人を見ると私はそう感じます。一方、成功とは縁のなかった人は、ゆったり、のほほんとしている。ですから老後は他人に受け入れらやすいのでしょう。
 
関西吉本新喜劇には、必ずこのようなキャタクター(漫才ではボケ役)の登場人物がいます。池野メダカさん、井上達夫さん、寛平チャンもこのキャラです。私は、老後はこのキャラを演じ、老人施設で、女性達と明るく過ごしたいと思います。小学生から夢中になったキャラです。多少自信があります。

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